兵藤一夫

仏教は、欲望に内在するこの「もっと、もっと」という本性に気づき、先ずそれを止めるために「少欲・知足」ということをもって、生きる出発点としてきた。「少欲」とはいまだ得られていないものを欲しないことであり、「知足(足るを知る)」とはすでに得られたものに満足し心が穏やかであることである。唐の時代の代表的な仏教僧である玄奘(げんじょう)は「知足」をさらに踏み込んで「喜足(足るを喜ぶ)」と訳し、「少欲・喜足」とする。このほうが内容に適った訳語ではあるが、一般には「知足」が受け入れられている。 私たちは、物や知識や名誉・地位などの中、すでに得ているものに対してはもっと良いもの、もっと多くのものを欲しがり、いまだ得ていないものに対してはそれを得ようと欲する。したがって、欲望とは現状に満足しないことと表裏の関係にあり、逆に言えば、満足を知り、喜ぶことによってこそ欲望が減少するのである。「少欲知足」と言われる所以である。